渋沢栄一氏は、幕末から大正初期にかけての日本の武士、官僚、実業家にして、理化学研究所の創設者であり、第一国立銀行や東京証券取引所などの設立・経営に関わった日本資本主義の父と称される人物です。
実家の家業は藍の販売・養蚕と農業であり、農民としては上流に属し、父親も四書五経を嗜んでいたことから渋沢少年も早くから論語を学んでいたそうです。
幕末の嵐が吹き荒ぶ時代背景で、渋沢少年は父の名代で接した小役人の態度に憤慨し、武士として身を立てねばならないと決意します。
若き日の渋沢は尊王攘夷の過激派であり、高崎城乗っ取りや横浜焼き討ちを計画するものの断念。
幕府の追及をかわすため一橋家の重臣平岡円四郎のつてを借り家臣に成りすましたところ、それが縁で平岡に説得され本当に一橋慶喜の家臣となり、慶喜が将軍職を継いだため、一転幕臣となりました。
慶喜にその才を気に入られた渋沢は陸軍奉行支配調役に取り立てられ、慶応3年慶喜の実弟徳川昭武の随員としてフランスに留学する間に幕府は瓦解、明治新政権が誕生しています。
明治元年に帰国した渋沢ですが、翌年大隈重信の推薦により突然大蔵省租税正(現在の主税局長に相当)に抜擢、渋沢29歳のときでした。
やがて税制や予算体制の基礎を確立し、国立銀行創立のための準備に奔走し、第一国立銀行の総裁になったまでのプロセスは、誰もが知る逸話となっています。
その後、当時卑しい世界と考えられていた実業界に渋沢が乗り出すに当たり、「私は論語で一生を貫いてみせる」として王子製紙や日本郵船など500社以上の創業に関わりながら、それらを渋沢財閥として組織することもなく、生涯を閉じています。
そんな渋沢が大正5年(1916年)に精神的バックボーンを明らかにした書『論語と算盤』を整理してみたいと思います。
『論語と算盤』は”論語つまり倫理、フィロソフィ、経営理念”と、”算盤つまり利益、戦略の実践による利益の追求”を両立させて経済を発展させるという考え方なのですが、渋沢は幼少期に学んだ『論語』を拠り所に倫理と利益の両立を掲げ、経済を発展させ、利益を独占するのではなく、国全体を豊かにする為に、富は全体で共有するものとして社会に還元すべき、という理念ある戦略の実践を説きました。
いわゆる「道徳経済合一説」という理念です。
”富をなす根源は何かと言えば、仁義道徳。正しい道理の富でなければ、その富は完全に永続することができぬ。”
そして、道徳と離れた欺瞞、不道徳、権謀術数的な商才は、真の商才ではないと説くのです。
”事柄に対し如何にせば道理にかなうかをまず考え、しかしてその道理にかなったやり方をすれば国家社会の利益となるかを考え、さらにかくすれば自己のためにもなるかと考える。
そう考えてみたとき、もしそれが自己のためにはならぬが、道理にもかない、国家社会をも利益するということなら、余は断然自己を捨てて、道理のあるところに従うつもりである。”
この言葉には、渋沢の経営哲学のエッセンスが込められており、経営をする上での本質が書かれているといっても過言ではありません。
しかも『論語と算盤』では、
・論語、陽明学、武士道精神を考え方のベースとして、利益も競争も卑しいものではない、利益も競争も貴び善用すること
・一個人の利益になる仕事よりも、多くの人や社会全体の利益になる仕事をすべき
・目の前の成功とか失敗ということだけを見ずに「天地の道理」を見て誠実にひたすら努力し、自分の運命を開いていくのがよい
などといった、仕事をする上での考え方が説かれています。
一個人の利益になる仕事よりも、多くの人や社会全体の利益になる仕事をすべきという考え方こそが、事業を行う上での良識ではないかと思えるのです。
そして、多くの人や社会全体の利益になるためには、事業が着実に成長し、繁盛していくことを常に意識しえいかねばなりません。
しかし、今の日本経済が利益重視の方向に流れるようになったのは、世間一般からこうした人格や良識が失われてしまったからではないでしょうか。
人としての生き方の本筋を忘れ、私利私欲ばかりを満たし、権勢や地位に寄生して自身の身の保全ばかりを望むのは、人の踏むべき道を無視したものでしかありません。
こうした中、渋沢の言葉には、今の時代に仕事を行うという観点で多くの啓示が含まれています。
「信用こそすべてのもと。わずか一つの信用も、その力はすべてに匹敵する」
「与えられた仕事に不平を鳴らして往ってしまう人はもちろん駄目だが、つまらぬ仕事と軽蔑して力を入れぬ人もまた駄目だ。
およそどんな些細な仕事でも、それは大きな仕事の一部分で、これが満足にできなければ、ついに結末がつかぬことになる」
「正しい道を踏んで富を求め得られたなら、卑しい御者となってもよいから富を積め。
しかしながら不正当の手段を取るくらいなら、むしろ貧賎に甘んじて道を行う方がよい」
「常に周囲に敵があってこれに苦しめられ、その敵と争って必ず勝ってみましょうの気がなくては、決して発達進歩するものではない」
「私の信ずるところを動かし、これを覆そうとする者が現れれば、私は断固としてその人と争うを辞せぬ」
「有要な場合に有要な言を吐くのは、できるだけ意思の通じるように言語を用いなければ、せっかくのことも有耶無耶中に葬らねばならない。
禍のほうばかり見ては消極的になりすぎる。
極端に解釈すれば、ものを言うことができないようになる。
それではあまりに範囲が狭すぎる」
まさに今の日本に求められているのは『論語と算盤』の経営であるのかもしれません。
私利私欲のない渋沢の言葉ひとつひとつを、今こと噛み締める時期にきていると思えるのです。
読まれていない方にも、過去に読んだことがある方にも、改めてのご一読をお勧めします。